オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

ボロブドゥール寺院にて 2

どこまで、自分の意識を遡っていけるのか?


もし、どこまででも遡れるなら、「無」的なものに行き着く。
自分がなくなる。


今回のボロブドゥール寺院ツアーのテーマは「無を知る」でした。

「無を知る」ための方法論は、自分の意識に懐疑的に
「どうしてこうなのだろう」という形式で、どこまでも遡っていくこと。

そのとき動く感情の機微にも留意しながら。


仏教でいう「身心脱落」は、そのような形でしか行き着けないのではないか。

「身心脱落」で「無」に到達しようと思っても、そうそう、出来るものではない。

あるイメージのもと「何かになろう」という、ある方向性を持った動きは、その方向性自体から自由になることは出来ない。
言葉が提示するイメージに行き着くだけだ。


では、なぜ自分の意識を懐疑的に遡っていくことでは、それが出来るのか。

なぜならば、「自分」というものは、「無限性」から成り立っているから。

その無限性は、「無」と限りなく近いものだから。


「身心脱落」とはブラックホールがあらゆる光を吸収するように、全方向性を失っていくこと。
それは無限への出入り口とも言える。

「無を知る」とは、自分の無限性への旅。
ボロブドゥール寺院の最上段のストゥーパも、通常の仏教遺跡とは異なり「仏舎利」がない。
「無」を象徴している。
無限の象徴。

私たちは、有限の物質界にて「無限を知る」旅を続けている。

この旅は、いつも未知に向かって開かれている。


しかし、時に、自らの持つブロックが、この旅を邪魔する。

このとき、「勇気」が必要となる。

おそらく当人にとっては、途方もないほどの「勇気」が必要となる。
なぜなら、そのブロックは自分自身であるから。
つまりは自分自身を壊し乗り越えていくことを必要とする。

誰にとっても自分を壊し、そして乗り越えていくことほど「勇気」を必要とすることはない。
ここボロブドゥール寺院では、その「勇気」を与えてくれる。

なぜなら、ボロブドゥール寺院では、自分を見る複数の視点を持つことが
可能なために、自らの旅の全体像が見えるから。


  進化とは何か。
  愛とは何か。

がここでは体感できるから。



Art Swing MAMI さんの描くボロブドゥール寺院 『Big Love』


    海から眺める
   日の出の光。

    魔法に満ちた
   人生の始まりです。


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