オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

自然を感じる

昨日、チホさん主催の根岸森林公園でのワークショップセミナーに参加した。

あらためて自然の素晴らしさを感じることが出来た。
天候にも、爽やかな風にも恵まれた一日。

癒やされた。
風や地や水や木々、そして木々の葉や根っこが、力強く私を
支えてくれていることを、あらためて思い知らされた。
それぞれのエネルギーが私のハートにゆっくりと流れ込んでくる。
ただそれを感じるのが新鮮で愉しかった。

まぶしい陽の光のもと、芝の上で寝っ転がっていると、力強く
私から不要なものが吸い取られていく。
物事に当たって、自分なりの識別のステップを経て、「これは私に
ふさわしい」「これはふさわしくない」ということをする以上、私
たちが天地を結びつけていくときに不要なものが生じてしまうのは、
宿命なのかもしれない。

そんな存在の創造活動の宿命を支えるために「地」が存在している。
そう思えて「おおいなるもの」への感謝が自然と湧いてくる。

大きな樹に、しばらく寄りかかってみれば、それこそ四方八方から
「支え」のエネルギーがやってくる。
今の私には、安定した根っこからの支えが、ありがたかった。
そして、四方八方からやってくるものが、私の場合はハートに収斂
されていった。


最近はずっと、セミナーファッシリテーターとして主催する立場が
続いていたのが、今回はいち参加者として、受け身の立場でいられ
たことは大きかった。
おかげで、「感じること」と「感じている自分を観察すること」に
専念出来た。
日頃何かを吸収することには専心出来るくせに、深く感じることは、
ついないがしろにしているのだと思った。
下手に自分の外部を感じると、かえってつらくなったり疲れたりと
いう、現代特有の外部環境事情もあるけれど、自然だけは別なのだ
と痛感した。


他にもあった嬉しかったことは、公園で遊ぶ人たち、のんびり過ご
す人たち、お弁当を食べている人たちが、み〜んな幸せそうだった
こと。幸せそうとは生命が感じられるということ。
最近、休日の公園に行かずに、人々を観る機会は都会のみという状
況が長く続いていたことを反省した。
駅に居る仕事人や街の雑踏にいる人たちには、毎日のように接して
いるが、幸せ感は感じられない。
だからきっと、休日に自然のなかで過ごそうとする人たちが持つ
「ある性質」がその人たちの幸せを支えているのだろうと思った。

シェアリングのなかで、一人の参加者が言っていた「人間には
こうした自然を感じる時間が必要なんだと感じた」という言葉を
ずっと忘れないでいようと思った。

いい一日でした。