スピリチュアルや心、内面の世界を理解、探求する時、陥りやすい罠としては、
「曖昧と逃避」
があります。
スピリチュアルな世界でよく使われている、
光、愛、歓び、つながり、見守り、許し許される、完全、ひとつ、
と言った言葉群は、その意味をいかようにもとれてしまいます。
だから、自分の置かれた状況についての理解を曖昧にしておけます。
自分の内面の葛藤に至っては、曖昧にするどころか、正当化すら出来ます。
こうした曖昧化、逃避化に走る人々は、「○○ある世界を」と言ってみたり「争いから○○の次元へ」(〇〇には、先程の言葉群のどれかが入ります)と言って、自分自身から離れ、天下国家ならぬ天下世界、天下宇宙を語ります。
自分の葛藤を曖昧にし、自分の内面から逃避するためです。ポエティックな言葉の罠です。
大切なことは、非物質的なものの探求・理解では、常に自分自身からはじめ、最後まで自分自身から離れないことです。
そして、自分自身のなかでも、
葛藤、恐怖、怒り、不安、その他平安を乱すもの、執着
から始めることです。
スピリチュアル言葉群からはじめてはいけません。
なぜならそれらの言葉が示すものは本来、葛藤、恐怖等がなくなったときに自然に現れ出るものだからです。
私たちすべてが生まれながらに持っているものだからです。でもそれは観念では理解しづらいものだからです。
無理に見つけ出したものは、偽物です。
「そんなことをして恐怖ばかり見つめていたら、自分は葛藤の塊で、愛ある存在だということをすっかり忘れ去ってしまう」
と心配になるかもしれません。
その心配は確かにその通りかもしれません。特に現実が厳しい今のような時代では。
だからこそ、日頃から意識的に瞑想をしたり、自然とふれ合う時間を持ちましょう。
でも、その場合でも自分の内面でスピリチュアル言葉群をもてあそんではいけません。
観念的、思考的になってしまうからです。
むしろスピリチュアルな言葉群から離れて、日常の誤解されない普通の言い回しでなんというか、どのように表現出来るか、ということを考えてみます。
そうしたことが、結局は自分を観ることにつながっていることに気づくことが出来るからです。
言葉による曖昧化と現実や自分からの逃避は極力避けましょう。
スピリチュアル言葉群のなかで、誤解なく使って良い数少ない言葉は、
「ハートを感じる」
です。
この場合でも、物理的な心臓のある場所に両手を当てて、物理的に肉体的にハートを感じましょう。
ハート(チャクラ)は観念としてではなく、物理的存在として私たちに与えられているギフトだからです。