オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

スピリチュアルの危険性 4

スピリチュアルの危険性1からのつづき


4. さまざまことの原因探し・意味付け理由付けをしてしまうことでの現実逃避。


これは、スピリチュアル好きな人のなかでも、もっとも罹患者が多い病に思えます。
現実で起きている自分にとって都合の悪いことや困ったこと。
そのすべてに対して、何らかのスピリチュアルな
理由付けをする人はとても多いのです。

普通の人は出来事に多くの意味付けをしません。
せいぜい、
人生万事塞翁が馬とか、
災い転じて福と成す、
程度のものでしょう。


なぜスピリチュアルな人には、このように
過剰なまでの意味付けが多いのでしょうか。



1 安心したい。再発を防ぎたい。


私たちは物事が生じる、その道理を知りません。
モノが、例えばボールなどが転がるときの道理は分かります。
ですが、なぜあのときあの人はあの場にいて交通事故に遭われたのか。
なぜ自分は不治の病にかかるのか。
その道理は分かりません。


もし道理が分かるとすると、救われるのでしょうか。
おそらくそうでしょう。
私たちは、意味の分からないことには耐えられないのでしょう。
なぜなら、意味が分からない分、逃げ場を失います。
そのとき感じている徒労感や絶望感から逃げられない。


まったく意味が分からないにもかかわらず、
自分を取り巻く状況だけが激変していくことに、
耐えられるほど、私たちは強くはない。
自分が納得しうる理由を知りたい。

そう思うのは当然なのかもしれません。


出来事の生じる理由が分かるのならば、
そしてその出来事を変えていくには、今後一切同様のことが
起こらないよういするには、その原因を知りそれを変えればいい。
そう思う人が多いのも事実です。


そしてその原因が自分以外の外的な原因だとしたら、
自分ではなく外的要因でそうしたことが理由で起きたのだから仕方がない。
自分はある意味、被害者なのだ。と思えます。
理由自体に逃げられるだけでなく、他者を恨むといったようなエネルギーに
自分の徒労感・絶望感の矛先を向けることが出来ます。



出来事の理由が自分のなかにのみあるとしたら、どうでしょう。
自分を変えなくはならなくなります。
この場合は理由が分かるということの安心感のみでしょう。
自分を変えるならば再発は防ぐことが出来る。
どちらがより建設的な方法でしょうか。
後者でしょう。


ですが、私が今までチャネリング・オーラリーディングをしてきて思うことは、
こうした出来事の理由は、ひとつやふたつに特定出来るものではなく、
無数の理由が複合的に関連しあっています。
そしてある完璧さのもと、その出来事が起きる。


私たちは自分の頭脳の基準、計測の基準でものごとを考えがちですが、
魂の世界には当てはまりません。
私たちより、はるかにすぐれた完璧性がそこにあるのだと思います。


その完璧性で私たちの同意のもとに、「こと」が起きている。
同意とは、私たちの魂レベルでの計画レベルでの、同意です。
なにも進化するチャンスは今生だけではありません。
もっと大きな視点で魂はとらえています。


だから物事の起きる理由がたとえ分かるせよ、
それは一面的なものなのだと知っておきましょう。

知ろうとするならば、
自分内部のどこを変えるために起きているのかを知ろうとする。
決して、正当化や被害者意識には陥らない。

そうした態度で臨みましょう。
そうであるならば、たとえ意味付けを求めたにせよ、
その真実の理由に近づいていくと思います。



2 理由が分かる自分に優越感を持ちたい。


出来事の意味を知るためには、
通常チャネリングなりオーラリーディングというスピリチュアルな
手法をとることになります。
そして、その手法が出来る自分自身が、優越感に浸りたい。
そうした気持ちがあるのかもしれません。


役に立ちたいという気持ちも、もちろんあることでしょう。


ですが、出来事の理由を知ることは、現実逃避につながりかねないのです。
そのことが起きたことによる自分の反応から逃避したいための、
言い訳探しに過ぎないことが多いのです。


大切なのは、ここでも「ありのまま」と「いま、ここ」です。
それらから離れてしまわないことこそが、何よりも大事なことです。


出来事の意味を知ることが、
ありのままの自分の反応から逃げることになるならば、
それは百害あって一利なしなのです。

そう知った上で、意味付けを行うならば、
それは構わないことでしょう。



   セドナ ベルロック