ひとの内面は、通常、曖昧な形式をとっています。
常に明確な形となっているひとは、むしろ危険かもしれません。
なんでもかんでも「~しなければならない」「~するべきである」というように、シュディスト(shoudsit)やマスティスト(mustist)の可能性があります。
完璧主義者と言ってもいいでしょう。
そのような生き方は早めに手放した方が、自分も周りの人も、楽で幸せになります。
ひとの意識は自然な状態では「グラデーション」となっていて、また、複数のテーマが同時並行で生じているため、通常は、曖昧な形をとっています。
何か大きな「覚悟」を決めたり、直感を重視しているときは、その限りではありません。「感情」や「思考」の次元とは、異なる次元にあるからです。
曖昧な意識のままでは、放っておくと、
「感情」と「思考」 の
あるいは
「思考同士」 の
「感情同士」 の
綱引きが始まっています。
ここに「肉体」が「疲労している!」という形で参戦することもあります。
1)「感情」と「思考」の綱引きは、たとえば、
感情 あの会社でもうこれ以上頑張れない!この仕事をやめたい!
思考 仕事を辞めたらどうやって食べていくのだ! 子どもの養育費もかかるというのに!
2)「感情」同士の綱引きは、
感情A 田中さんには優しく接すると私の得だから(得すると私の感情が喜びそうだから)そうする。
感情B 田中さんのこと嫌いだから話したくもない。
3)「思考」同士の綱引きは、
思考A 田中さんが間違っている。私は正しい。そう言わなくてならない。
思考B 夜遅い時間だからもう眠らなくてはならない。
思考C 明日までの課題を早くしなくては。
こうした綱引きは、意識内部でのエネルギーを消耗させてしまい、創造的活動に振り向ける分がなくなってしまいます。
そして、創造的な生命に即した活動をしない、機械のようなひとが出来上がります。
曖昧な意識を整理してあげることです。
最初は、整理しようなどと思わずに、こころに浮かぶよしなしごとをつれづれなるままに書いていけば良いでしょう。
私は「徒然ノート」と呼んでいます。
創造活動をするセミナーでは、最初に参加者に10分ほど判断なく書いてもらいます。
すると、スッキリと創造活動に意識を向けることが出来るようになります。
曖昧なことを文字という形にするだけで、意識の葛藤は落ち着きを取り戻すのでしょう。
文字にするとは、意識の次元から物質の次元に落とし込むことでもあります。
すると、物質の次元にあるもの(文字)は、何度も読み返すことが出来るので、意識と文字との間にフィードバックループが出来上がります。
フィードバックループは日本語で自省作用のことですが、この作用によって意識も変容していけます。無駄がそぎ落とされていきます。
このことによって、創造的エネルギーが戻ってきます。
グラデーション