自分のなかにある、相反する二つなり三つのものなりが互いに引き合っている状態である「葛藤」は、いずれ、外側の世界での「葛藤」となって生じていきます。
いわゆる内側にあるものが外側に展開していくという「鏡」の作用です。
自分が責められたり、自分が折衝役として苦しんだり、あるいは相手に対しての怒りが猛然と上がってきたりなどは、たいてい、自分の内側で相反するものが引き合っていてその鏡として外側に生じています。
自分のなかにある相矛盾したものの力の動きに気付くと言うのは大事です。
そうした内面での葛藤の作用を知るだけでも、その葛藤の力は弱まりますが、それだけでなく、その葛藤の解決へと向かう力も自然と働くからです。
すべては「自然」な状態にもどろうとする。
これは心理的な自己治癒力ともいえるものです。
人類のブロックの大元は、自分は完全完璧ではないという「罪悪感」にも似た感覚です。なぜなら、すべての完全さと平安さとともにある「源」のなかに長い間にわたっていて、そこから自らの意思を持って旅立ってきた存在がわたしたちだからです。
「罪悪感」というと宗教的な感じがするかもしれません。「自分が悪い」「自分のせいだ」「自分が未熟なのだ」「自分はダメだ」という想いといえばいいでしょうか。
多くのひとは、こうした言葉を自分自身に対して一日に何度も使っているのではないでしょうか。
大元の根っこが罪悪感だとするとその幹は「分離感」です。
自分は完全ではないので、自分をなんとかしようと思うところから「自分」という概念が強まり、自分と他という区別を大事にするようになりました。「自分はダメだ」と感じるがゆえに今度はその真逆として「自分は大丈夫だ」と想いたいがためです。そして「分離感」を自分で大きくしていってしまいます。結果、それでもダメだとまた逆戻りして「自分はダメだ」と想うことになります。
「罪悪感」と「分離感」の無限ループに入っていきます。
「分離感」を幹として、他の様々なブロックが枝葉として生じていきます。
たとえば、「自分の力を発揮しては結局他人を傷つけてしまう」という言葉が付帯しているブロックは、この無限ループの派生として生まれてきたものです。
内面の様々な葛藤も「なんとかしたい」「成長したい」「わたしはこうしなければ」といった「自分」と「他」の分離感をベースとして生じていることが理解されることでしょう。
内面に一切の「葛藤」がない状態にあこがれ、マンダラを描くことで自己の葛藤と調和を見つめたのは、心理学者のユングです。
自分がどのような「葛藤」を持ちなぜその「葛藤」があるのかを見極めていくことです。
ひとたびそれを観るなら、自分の内面が驚くほどの「葛藤」の連続であることが理解されるでしょう。
算数的に言うならば「葛藤」とは「プラス3」の動きをしたかと思えば別で「マイナス2」の動きをしているようなものです。
葛藤のない内的世界は、無駄なエネルギーの動きがないのですから、余力と活力に充ちます。
そしてなにより「平安」に充ちます。
Art Swing MAMIさんの「春の水」
風のどかに吹き
川辺でまどろむ
鳥の歌声
心地よく。