オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

オーラ次元の存在価値

私が肉眼で、オーラやチャクラとして認識しているものはいったい何なのか。

見えているものが、粒子なのか波動なのかも正確には分からない。

そもそもこの次元のものなのか、高次元に属するものなのか。

 

光も粒子説と波動説があり、現在では光は粒子としての性質と波としての性質の両方を持つという、分かったようなその実良く分からない形で、現代科学はひとまず決着が着いている。最新物理学は私たちの常識を超えている。


オーラのエネルギーフィールドは、色を持つことからして光の性質が反映されたものであり、それが当てはまると考えている。

だから、オーラは粒子でもあり波動でもあると考えている。

 

たとえば、量子力学で言われているように、私がオーラを観察した瞬間、その光が「波動」から「粒子」になったとした場合。


福岡伸一氏の著作『生物と無生物の間に』のなかで、「全体の動きとは例外的なふるまいをする粒子」が発生する頻度について記載がされている。

例外的ふるまいは、平方根の法則(ルートnの法則)に従うそうだ。100個の粒子であれば10が例外的なふるまいをする。10%が例外的動きをする。

10000個であれば100つまり1%。100万であれば0.1%。と格段に例外事象の割合が下がっていく。

ひとつの細胞には膨大な数の粒子(原子)が含まれている。そして、人は60兆近くの細胞を持つと言われる。

肉体がなぜ、圧倒的に多い粒子を持つのか、粒子に比して圧倒的に肉体が大きい理由について、著者はこう述べる。

 

 例外的事象を少なくすることで、肉体の秩序を維持している。

 

オーラ次元では、肉体次元(物質次元)に比して、この「粒子」数が圧倒的小数でしか存在していないように見える。

そもそも、オーラ次元での「粒子」化は、私の認識を通してはじめて行われてるものでもある。量子物理学の世界で言われるように、観察者がいない段階では、光は「粒子」化は起きず「波動」化しているに過ぎないから。

よって、オーラ次元・意識次元の「粒子」数は肉体のそれと比して圧倒的小数となる。別のものは「波」としての存在のみ。

このことは、肉体次元にいく手前のエネルギー段階であれば、全体秩序と異なる「例外的なふるまい」の可能性がより高まることを意味する。

ここで言う「例外的なふるまい」とは、これまでその人が培ってきた信念体系と異なる動きや意識パターンのこと。

 

エネルギーが肉体の次元にまで降りてしまうと、先の平方根の法則(ルートnの法則)により、秩序維持機能があまりに強い。そのため、「例外的なふるまい」を生じさせるためには、非常に大きな力を必要とする。肉体次元化する手前であれば、速やかな変化が可能である。

 

これは私のセッション経験とも一致する。

セッション中の意識変化の影響は、チャクラ上に即時に現れる。漸次展開というようなものでは、ない。

即時変化のため過程観察が出来ない。オーラ次元では「例外的なふるまい」の許容ゾーンが非常に大きく、変容への展開が瞬時だからだろう。

強力な秩序維持機能にあらがって肉体次元(物質次元)に影響を及ぼすためには、このオーラ次元での変革の持続力が必要となる。

 

さて、オーラ次元(意識次元)で先に変革が生じ、その力が肉体次元に対して常に変容を働きかけ続けるとしたら、そこにオーラ次元の存在意義を見いだすことが出来るのではないだろうか。

 

肉体次元(物質次元)に直接働きかけて意識変革を行うことは、「平方根の法則」からしても決して容易ではない。

意識次元での変革がひとつの「型」、それはとても柔軟な「型」であるが、そうした意識変革した内容を包括しうる構造としてオーラ次元が存在している。

変革は、最初オーラ次元で生じ、その変革の「型」が長期にわたって維持され、オーラを通して物質次元に働きかけ続け、肉体(物質)がゆるやかに変容していく。

 

あたかも海の波や風が、岩肌を侵食していくがごとく。

 

そんなに気長に物質世界の変化を待っていられない。誰もが、そう思うだろう。

 

だから、数学的には立証されているように、物質次元のミクロ世界には、高次元ホール(高次元との通り道 / カラビ・ヤウ多様体)が無数に存在しているのだと考えている。肉体細胞のなかにもこれは存在する。

この高次元と物質界とのやりとりが、「平方根の法則」の制限を超えていくことを手助けしているのだと考えている。

結果、意識変化の肉体変化へ及ぼす影響は意外に素早く顕在化することになる。特に高次元(天界)のサポートがあるたぐいのことであれば。

 

幸いなことに、私たちは往生するに当たって、変容するのに非常に大きな力を必要とする「肉体」を持っていくことはない。

しかし、オーラやチャクラの在り方は持っていく。

ここに「死」の意味があると考えている。

変化の遅いものは手放し、変容が瞬時に可能な「容れもの」としてのオーラシステムは、維持されつづける仕組みとなっているのだ。

 

意識の「型」がそのまとっている肉体の「型」とあまりに合わなくなってしまった場合、その人が肉体を変容することよりも脱ぎ捨てていくことが、魂のひとつの選択肢となる。

当たり前の話だが、「死」は魂のレベルでみれば悪いことではない。

それは「再生」のはじまりに過ぎないのだから。

 

長い期間にわたって培ってきた鎧のような重い信念体系を脱ぎ捨て、「再生」への道を歩み出すことには、通常、肉体的「死」を必要としない。

 

私たちには「オーラ」システムがある。

 

「オーラ」や「チャクラ」が、あなた自身の「再生」への願いや想いに即時に呼応し、その果実を記録しつづけているから。

私たちは、いつだって「例外的ふるまい」へ向けての自身の「再生」が瞬時に可能である。

そして、その果実は、オーラシステムのなかで高次(天界)の支援により永遠に続いていくのだ。

 

 原点に回帰することで「永遠」を得るのだ。

 

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セドナ キャセドラル・ロック よく言われているように風の浸食だけで出来たとは思えない。