私たちが「観ている」ものは何か?
私がいなければ、「私の観ているもの」はない。
「私の観ているものがない」とは、「すべての存在がない」ということ。
少なくとも私にとっては。
だが、この場合、その私が、いない。
では、
誰もいなければ、どうだろう。
「すべての存在がない」
そのはずだ。
では、
誰が生まれて、
誰が生まれていないのだ。
そう考えると、「宇宙」とは、
「生まれたものにとっての個別の宇宙」だ。
言葉は「存在」を明らかにしているのではない。
私たち自身を明らかにするために、私たちには「言葉」が必要なのだ。
では「存在」はどうなるのだろう。
それは「言葉」では明らかに出来ない。
きっと。
朝一番、
ほとんど誰もいない
「ストーンヘンジ」
と向き合いながら思ったことでした。
この写真はストーンヘンジ近くの雨のなかのウッドヘンジ
見つけるのにちょっと苦労しました。