私たちの思考は、いつも、何か信じられる対象が、どこかにないものかと探しています。
大きな意味で、それを「依存」と言うことも出来るでしょう。
自分の感覚を信頼して生きていけるほど、まだ自らの感覚とそれに従った人生との「すりあわせ」をしてきていないからです。
自分の直感がこう感じるということに従って、それを自らの責任で選択をし、そのように生きてみて、それらから伴う人生で感じる幸せ感、あるいは不幸感、との「すりあわせ」です。
この「すりあわせ」をしていないと、私たちは容易に、他者の言説や世間一般の常識にとらわれてしまいます。
ただでも、「答は外にある」という教育を幼少より受けてきています。
最初は答やするべきことは「親」が与えるもので、その次は「学校の先生」や「教室での雰囲気」が与えるものとなります。その後は会社組織でも同じことが行われていきます。上司が納得する仕事の仕方や答が大事だと。
こうして先生や上位者、世間が既に隠し持っている答を当てていくように躾けられていきます。
これらがうまくできると、学歴や仕事が得られ、その学歴や仕事から付随してくる様々な報酬が得られるようになるという「すりあわせ」はたくさんしてきています。
私自身も二十歳前後まではそうでした。
いつのまにか、自分の感覚を信じることよりも、外側の現象にばかり関心が向かいます。
外側への依存がはじまります。
ところで、こうして私たちが「信じて依存していく」対象は、いったい自分の外側にある何なのでしょうか?
人である場合もあるでしょう、言葉やイメージ、またジンクス的なある特定の出来事かもしれません。
依存する対象が人や出来事であっても、それを「信じる」と決めているのは「思考」です。
思考は「言葉」に頼ります。
そしてこの「言葉」は自分の内から出てきたものではなく、外側にあった言葉です。
「私は〜すべきだ」
「私は〜しなければならない」
「私は〜を目指すべきだ」
「〜が正しい」
といった、受動的な「言葉」です。
次第に、この「言葉」にそれが達成されたときのイメージが付与されていきます。
今度は「言葉」だけでなく、自分が作り上げた「イメージ」にも依存していくこととなります。
例えば、その言葉を実行していったときに達成されると信じている成功像などです。
外側にある「言葉」と、それからもたらされる「イメージ」への依存がこうして完成されます。
自分自身からも「いま、ここ」からも、あなたはますます離れていきます。
この「言葉」や成功像的な「イメージ」は、リアルに今目の前で起きていることではないので、「幻想の世界」にあなたを導いていきます。
「幻想の世界」はリアルな世界ではないために、あなた次第でいくらでも大きなものに作り上げていくことが出来ます。
現実世界からの「逃避の場」としても機能するので、逃避癖が身に付いても行きます。
そしてこの「幻想の世界」はあなたにとって、重要なものになっていきます。
いつしか、そこがあなたの「居場所」になっていくからです。
朝靄のなかを皆で散策しました。
エイブベリー近くのお気に入りとなったパブ
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