オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

創造物としての現実世界

自らが、その言葉の文字通りの意味での「創造主」だとしてみよう。

自分のなかにあるもの(顕在意識+潜在意識)が、自然と自分の
外側の世界に反映されてしまうという意味での創造主。

外側の世界はすべて自分が創り出している。
自分が自他の区別をつけていたものは、正確には自他ではなく、
自分と自分の創造物ということになる。

とすると、人生で苦しむとは、自分の創造物に対して苦しんで
いると言うことになる。

自分の創造物に対して、私たちは苦しみ、歓び、悲しんでいる。

その創造行為自体を、私たちの顕在意識では十分に意識化
されていないだけ、だから苦しむということです。

私たちは、それと意識していない創造活動を日々休むことなく
し続けている。言葉の文字通りの「創造主」。

スピリチュアルの世界で良く言われている「鏡の法則」とは、
別の言い方をすれば、「自分自身の休むことのない創造行為
の結果を見続けている」となります。

だから、自分の創造物を愛することが出来ない人間にとっては、
この世界はひどく生きがたいものとなってしまう。

自分を愛することが出来ない人は、自分の創造物も愛すること
は出来ないでしょう。

そのままでは正視に耐えないので、自分が愛することが出来るような
形に変えようとする。

だから、他者へ向けてのコントロール意欲の強い人は、どうしても
自分の創造物をつまりは自分自身を愛せない人と言えます。

そう思って世の中を見てみると、あるいは自分を観てみると、
いろいろなことが紐解けてきませんか?


ファウンデーションセミナーなどで、絵を描いているとき、
つらいのは、自分の創造物を自分が気に入らないときです。
そしてその気に入らないものと格闘していくと、ますます一層
気に入らないものになっていくとき。それは苦しいものです。

この絵のプロセスに果たして出口があるのだろうかと思い、
途方に暮れてしまう。
これが、「絵」の世界ならばまだいい。
ものの100分もあれば終了することだから。

人生のなかでリアルにこうした体験をしているときの辛さは、
想像に難くはない。

絵の世界ではなく、人生のなかで出口が見つからないのだから。
誰かのせいにしたくもなろう。
自暴自棄になりたくもあろう。
何かのおまじないや神様に依存したくもなろう。


でも、どんなものが自分の内面から生み出されていったとしても、

 「よくぞ出てきました!」

 「もっとどんどん出てきて下さい。私の知らない私の側面よ!」

もしも、そう思えるならば、人生のすべてが「発見」の連続となることでしょう。
人生に対しての捉え方も、随分と変わりそうです。

たとえこのように思えないとしても、この際だから自分の知らない一側面を
観察し尽くしてみよう、とは思えるのではありませんか。

そこまでいけば、あとは、これらの憂鬱の種をどのように自分のなかに統合し、
どのように光を当てていくのか、そして、どのように変容を成し遂げていくのか、
ということになります。


それは、きっと、その描いている「絵」から逃げないということです。
絶対に、逃げないで正視し続けるということです。


でもそれだけでしょう。
鈍感になったり、おまじないに凝ったり、この絵は自分が描いたものではないと
いったりしないで、真正面から向かい合うこと。

軽やかに、真正面から取り組む。
すると自分の創造物に対して意識の光が当たります。
あなたの意識の光が当たります。

すると自然と自己治癒のプロセスが始まります。
自己治癒とは自然な状態に回帰しようとする力です。

そして、自己治癒のプロセスとは、自分への統合のプロセスでもあるので、
最終的には、きっと自分を愛せるようになります。

あるたった一筆を格闘している画用紙に走らせることによって、
絵の印象がそれまでとはガラッと変わってしまうように。


私自身が、自分のセミナーを通して、あるいはチャネリングを通して
学んだことのひとつです。


私にとって、とても大切な学びのひとつです。


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  以前セミナーで描いた絵