精神的に成長を遂げたいと考えるとき、自分と向き合うということは、最も困難なことなので、
例えば、
「肉をやめる」
「お酒を断つ」
「瞑想をする」
「ヒーリングやセッションを受ける」
という、外的な事柄から入っていきたくなります。
なぜ、「自分と向き合うこと」は困難なのでしょう?
ゴールも正解もないからだと思います。
上記のような外的な事柄にはゴールがあったり他者から与えられる正解があります。
ですが、自分自身と向かい合う場合は、ゴールはありません。
生命は「無限性」をその拠り所をしているからでしょう。
もしゴールがあったら、それは無限ではない、ということになります。
A 世の中のほとんどのことにはゴールがあります。
スポーツ、ゲーム、研究、試験勉強、○○養成コース、食事、睡眠、仕事等。
B そしてそのことに慣れてしまうと、本来そうしたことが当てはまらない事柄についてもゴールを設定します。
例えば、
パートナーシップ、成長、探究、癒し、愛、創造等。
当てはまらない事柄は、生命そのものの性質に深く関わる事柄です。
ですが、Aのパターンで全てをとらえるのに慣れてしまっているため、Bの事柄についてもAの手法を適用してしまいます。
ゴールがないことは本来、楽しいものです。
子どもが天真爛漫に遊ぶとき、彼はゴールなど微塵たりとも意識していないことは、容易に想像出来ることでしょう。
天真爛漫さは、先のことも、その意味をも、全く考慮しない精神の在り方です。
生命の本来の在り方です。