前回アップした記事はドルフィンスイム参加者の声。
今回は私の体験記。
【 ハワイ島到着日 】
参加者の方々が、海に、自然に、還っていって欲しい。自分という存在は、すべてによって生かされていることを体感してみて欲しい。
そのような思いで今回のイルカツアーに臨んだ。
古代レムリアの時代、私たちは自然と一体化していた。個々人はその内に「自然なる秩序」を宿し実践していた。それゆえ、その道から外れていることには鋭敏に気づき、道に戻るための癒しとして、ドルフィンスイムやクリスタル、瞑想などが用いられていた。
現在、あまりに自然から離れた生活をしているなかで、多くの肉体の細胞は本来持っているその叡智を、花開けないままでいる。
海の中に3時間も4時間もいるということが極めて珍しい生活環境のなかに、私たちはいる。だが非日常的なまでに自然に深く浸り、細胞が、自然からもたらされる叡智をひとたび思い起こすならば、おそらくもう後戻りは出来ない。
海に全身で浸ることは、60兆にわたるすべての細胞が浸る行為でもある。そこにイルカたちの介在がある。そして、神秘的瞬間が訪れる。
このツアーは「古代レムリアの記憶」に触れる旅でもある。
【 イルカとの出会い 初日 】
初日の朝、7時にロビーに集合し、ホテルの芝生の上で円になって瞑想を行う。やや曇りがちだった空が瞑想の最中に晴天に変わっていく。何ものかから祝福されているようで、心地良い感じが私たちを満たしていく。
ハワイの朝は「すがすがしい拡がりと暖かさ」を合わせもっている。瞑想の最中、参加者の多くがすでにイルカ達を間近に感じていたようだ。
船に乗り込み出航してから、皆で簡単な自己紹介を行う。爽やかな風が皆のほほをなでている。
海の拡がりが私たちの心もほぐし、拡げていく。
各自の自己紹介が終わるやいなや、すぐに「次は僕らの自己紹介の番だ」といった感じでイルカ達が現れ、華麗なジャンプを披露してくれた。
イルカとは何度も何度も出逢っている私ですら、感謝の念で胸が一杯になる。
何か特定のものへの感謝ではない。こうして奇跡を創り出しているイルカ達や天界、ここに居合わせている皆、ハワイという土地や光、そして遠い過去からの生命の営みがこの瞬間に凝縮されている感覚、広大な宇宙の営み全体がこの瞬間を形づくっている感覚。
そうしたものすべてへの気付きと感謝の念なのだと思う。
イルカは群れで行動している。その群れも重層的だ。2~5頭のイルカを最小単位として20頭前後の群れを形成している。彼らはテレパシーで交信しながら行動計画を順次策定していく。
共同創造の姿を最も純粋に、最も完全に私たちに見せてくれる。
私たちの船は20頭前後のイルカ達に囲まれていく。
その数はあっという間に増していく。他の群れとテレパシフィックに連絡をとり、どこからともなく新しい群れが合流してくるのだ。
彼らの美しさには圧倒される。
すべてが流れと美しさと歓びをまとっていくマジックだ。私たちが最も手に入れたいマジックだ。
皆、海に入り彼らと思う存分泳ぐ。
当たり前だが、彼らの泳ぎは早い。だからお願いをする。「私と一緒にゆっくり泳いで」。
すると彼らはスピードを緩め始める。
目を合わせてくれる。微笑んでもくれる。
私たちが歓びや楽しみを謳歌することが、それはそのまま彼らの歓びであり楽しみであり謳歌なのだ。
この循環がお互いの歓びを高め合っていく。
何人もの参加者が海のなかで自然に涙が出てきたと伝えてくれる。
イルカとわずか1メートルほどの距離で、90分以上一緒に泳いだだろうか。身体の細胞すみずみに彼らの鳴き声と海のエネルギーが浸み込んでいく。
その後も湾にいき、再び1時間程彼らと泳ぐ。
泳ぎながら考えた。一体彼らはいつから私たちを待っていてくれたのだろう? 昨年別れの挨拶をしたときからだろうか?
なにしろ今、わたしたちのもとにハワイ島中のイルカが集まってきている様相を呈しているのだ。彼らは心から歓迎してくれていた。ツアー後に10代の参加者が言っていた。
「これからはイルカのように生きたい。」
彼らは特別な存在だが、特別な能力に秀でているわけではない。
在り方が特別なのだ。
誠実で自然で天真爛漫で、そのくせ全てに気付いている。
誰もが出来ることばかりのはずだ。その大切さに気付いていなかったから、私たちはそうしたことが出来なくなってしまったのだろうか。幼心や歓び、つながりの感覚よりも、客観性を重視してしまったからだろうか。
1回のクルーズで2回以上イルカの群れに出会いともに泳ぐことは、極めて珍しいとハワイでは言われている。しかも泳げたとしても多くの場合数分から10分程度だったりする、とキャプテンから聞かされていた。
私たちのツアーでは結果的に毎回、1回の航海で2回以上の多くのイルカの群れとともに1時間以上に渡って泳いでいる。
そればかりか今回はクジラとともに泳いだ。体長4,5メートル弱はあっただろうか? 何頭かが沖合を親子で泳いでいた。
2度のドルフィンスイムのあとに、キャプテンが「今日は特別な日のようだから、うまくすれば沖で大きな大きなイルカが見られるかもしれないから見に行こう」と提案してくれた。 私たち以上にキャプテンが見てみたいようだった。
沖にいくと私たちを待っていたかのように、ゆったりした優美な泳ぎで彼らはやってきた。
ザトウクジラほど大きくはないがイルカほど小柄でもない。その泳ぎはまるで、
「宇宙をひきつれて生きている」
ようだった。
私は当然のように彼らと一緒に泳ぐつもりでいたのだが、キャプテンは船を止める様子がない。「泳がないの?」とキャプテンに聞くと、ここら辺は鮫が出る、とのことだった。「泳ぎたい」と伝えると船を止めてくれた。
「鮫が出たら教えるから、皆でまとまって泳ぐように」とキャプテンから忠告を受ける。
2,3人は一緒に来るかなと思ったら、2人を除いて全員が海に入ってきた。誰も怖がっている様子がない。私は今までは最後に海に入っていたのだが、今回は様子を見るためにも最初に海に入る。
するとクジラたちがみるみる近づいてきた。
私も2メートル程までに彼らに近づいたとき、イルカとは違うあまりの大きさに一瞬たじろいでしまう。
あのまま泳いでいったらきっとぶつかっていただろう。クジラの口に入ってピノキオになってしまったはずだ。
彼らはバンドウイルカと異なり、静かな力強さと圧倒的な母性を内に秘めている。
鳴き声もずっしりとしたものだった。あえてエネルギー的に似ているものを探せばオーストラリアのウルル(エアーズロック)だろうか。
クジラたちも遊んでくれた。私たちに合わせて、よりゆったりと泳ぎ、会話し、見つめ合った。
上下に潜行したり去っていくかと思うとまたこちらに戻ってきたりと、優美な瞬間の連続だった。
時間も音も空間も、確かにあるのだがなくなっていくような、すべてが虚空に還っていくような不思議な場だった。
初日はこうして終わった。