オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

創造的であること

ごくごく普通に生きようとする。

政府や自分の勤めている会社と上司を批判し、同僚をねたんだりしながら、
日々の仕事には、誰からも批判されない程度に頑張り、うまく手を抜く方法は
ないものかと考えながら。

あるいはそうする必要などないのにと思いながらも、これまた批判されない
ようにと、したくもない残業をし夜にはお酒を飲むことで、我慢し頑張った
一日に終止符を打つ。

これが世間の生き方のスタンダードであり、そのスタンダードからほんの少しだけ
ずれる部分、例えばそれは子どもの学歴であったりこうしたスピリチュアル系で
あったり恋愛であったりを少しばかり模索する。
そして、そのずれた部分を自分の存在価値としながら、出来るだけ普通に限りなく
普通に生きようとしていく。

批判はされたくない。それがゆえに他人には迷惑をかけたくはない。


時には少し贅沢なショッピングや食事を愉しみ、テレビや映画、音楽を聴いて自分
自身をまぎらわす。

恋愛するにふさわしい相手はいないものかと思いながらも、結局のところそれよりは
豊かさと安定を求めていく。

ごくごく一般的幸せを「求める」とまでの積極性はないものの、その自然的成就は
目指しているし期待もしている。
そのように生きる。


いつも世間と歩調を合わせようとしている。


だが、その合わせようとする世間が、欲望とねたみ、怒りや執着そして悲しみを
その存在基盤としているならば、どうなるだろうか。

その世間が創造的に生きることに懐疑的で、誠実に生きることが損だとしている
ならば、どうだろうか。

その世間が、表層的な絆の大切さを謳い、それゆえ皆がつながりや絆を大切に
するがゆえに、結果、皆で下に下にと落ちて行かざるをえないとしたら、どう
だろうか。

誰もが他者の動向を伺うことから入り、自らの創造性やその創造に伴う責任を
放棄しているとしたら、その社会はどこに行き着くのだろう。
そうした個人はどこに行き着くのだろう。


より一層の欲望とねたみ、怒りや執着そして徹底的な悲しみと孤独。
あるいは安定と現状維持を求めるがゆえの、徹底的な環境破壊と生存競争によ
る壊滅。
そうなるだろう。


世間に合わせて生きること、そして世間からの一定の評価を得ることやそのな
かでの些細な差別化のゲームとそこからもたらされる自己満足。

これらを完璧に諦めること。


諦められないのは、創造的に生きていないからだ。


あなたの創造に基づいた、あるいはあなたのありのままの存在に基づいた
「つながり」以外は、すべてまやかしである。


あなたの創造性とあなたの神性とは、イコールで密接不可分なものだ。

創造性に基づいて生きるとは、自分自身の神性に基づいて生きること。


あなたが創造的になれないのは、世間に同調したい合わせて行きたいという
欲望が邪魔をするからだ。


だが、そのままでいては、世間から避けようのない欲望やねたみへの刺激を
受け続けることとなり、怒りと悲しみのなかでいつか必ず討ち死にしていく。

残念だが本当のことだ。



    創造的であれ。

    その程度に自由であれ。

    他者ではなく自らの神性とつながれ。


そうすれば、

    自らの予期せぬ力と出会う。

  必ず出会う。



そして、最終的に、そこから愛を感じるはずだ。




ファウンデーションセミナーⅡで描いた絵



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