海が輝いていたり、木々の緑があざやかで、柔らかいそよ風がふいていて、そこに居合わせていることだけで静かな幸福感に包まれる。
包まれているときは、海や木々によってこころが沈黙に導かれているので分からない。
分かろうとすることももったいない。
分かろうとすること自体が何か違う、ということだけは分かるというあの感覚。
私でも海でもあなたでも、何かしらの主体が出てきてしまうと、かけがえのないものが消失してしまいそうになるから。
私たちの祖先には主語のないことばを使う必然があった。
このかけがえのなさを生きるために。
遍在している確かな歓びを皆のこころと分かち合うために。
きっと愛のために。