目だけならば、意識はない。
目で見えているものへの探究の始まりが、意識のはじまり。
意識のはじまりは、自他の区別のはじまり。
探究の主体が自で、客体が他。
しかし、つまるところ、主体も客体もおなじ主体。
どちらも主語。
曼荼羅的でありホログラフィック的世界観。
目は生命そのものでもある。
ただ脈動はある。
内側にも外側にも属していない、目。
そこが私たちのスタートだから、
私たちは内側も外側も持たずに、生きていくことが出来る。
まだ分からないけど、オーラやチャクラの動きも、
きっとこのようなことを示唆しているはず。
第8チャクラにそのヒントはあるのだろう。
Art Swing MAMIさんの”フラワーオブライフ”