経営コンサルティングの仕事とカウンセリングの仕事は似ている。
ただ、異なる部分もある。
例えばその目的とするところ。
コンサルティングでは、
クライアント企業の利益を向上していくことが第一目的。
どんな企業であっても、依頼プロジェクトは、あくまで利益向上に
つながるプロジェクト。
それが人材育成であっても、戦略立案であっても生産性向上のための
業務改善やシステム化であっても、はたまた工場一丸で取り組む品質
向上運動のようなものであっても。
しかし、カウンセリングの仕事は、クライアントのニーズ(質問内容)に
応えることは二の次だ。
なぜなら、クライアントの抱いているニーズそのものが、一層クライアント
を追い込んでる真の課題そのものであるかもしれないから。
私はこう考えている。
気付いていようといまいと、クライアントが本来的に皆望んでいることは、
「心の平安」と「自らの創造性の発露」。
これに尽きると言っても過言ではない。
その人の「心の平安」を妨げている、その人自身の考え方の癖なり在り方
なりを、解決していく助言をすること。
その人が心から納得できる真の「創造性の発露」には、その人がその分野の天才で
ない限りは、「心の平安」が必要条件となる。
「創造性の発露」による「創造の歓び」を通して、「生きる充足感」
と自らの「存在意義」そして何よりも「自分自身の理解」を深めたい。
こうした深いニーズは、人として万人共通だと思う。
しかし、クライアントの抱くニーズをカウンセラーが満たすことが、
場合によっては、こうした「心の平安」や「創造性の発露」を阻害しているかもしれない。
あらゆるカウンセラーや治療家が、一度は疑ってみた方がいいテーマだと思う。
私はクライアントのニーズはさして大切ではないと考えている。
クライアントのニーズを満たしてばかりいると、共依存関係に陥りやすい。
クライアントは、その解決をカウンセラーに委ね、カウンセラーはクライアントの質問課題を解決することで、自らの存在価値や、やり甲斐を見いだす。
こうならないために、カウンセラーは「傾聴せよ」と言われる。
でもね。時間がかかりすぎるのだ。この方法は。
だから、私は論理だけでなく、オーラ診断やチャネリング、時には直感を使う。
別に特別なことではない。
手に入り得るあらゆる手段を、先入観なく活用しているだけのことだ。
本当にそれだけだ。
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