オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

オーラセッションと観察者問題

光には面白い側面があり、それは「粒」の物質的側面と質量ゼロの「波」の両方の側面を常にもっていて、ひとが光の状態を「知る」ときは常に「粒子」の側面になるというもの。

 

ここで生じるのがいわゆる量子力学の観察者問題。

これは、ミクロの世界では一つに定まっていない確率事象が、ひとが情報を「知る」ことによって確率(可能性)が一つに定まってしまう(波動関数の収縮)ことをさす。

つまり観察者がいることで、量子のふるまい結果が変わってしまうから、観察者問題。

 

「知る」前の状態では、いわゆる複数の(あらゆる)可能性が重ね合わせの状態にあり、シュレーディンガーの猫(の思考実験)で有名なように、すべての可能な状態が同時に存在している。

 

アンコール
海で生まれた
潮騒のメロディ
追いかけながら
朗らかに歌う
幾たびも♪

MAMIさん

 

オーラを物質次元的な存在と仮定するならば、限りなくミクロな状態として存在しているはずだ。そうでなければ、誰もが「観ることが出来る」はずだから。

 

さて、私(観察者)がクライアントのオーラやチャクラを観察したとする。

私はマクロな人間として物質次元に存在しているが、ひとの意識や眼は本来、高次元(=虚数の世界)やミクロの世界を認識できる。

 

つまり、ひとを通して、マクロとミクロがつながっている。

 

ミクロな情報であるオーラ情報をひとが「知る」とき、そのことがクライアント(観察されるもの)にどのような影響をもたらすのかを量子力学的に考えてみようというのが、今回の目的である。

私が観察する前は、クライアントにおいては、可能性は重ね合わせの状態にあり多様な状態(可能性)が保持されている。

 

クライアントにとっての癒しとは、クライアントのチャクラがより自由に開いていくことにある。

そのためにはエネルギーの滞りが解消される必要があるため、私はオーラやチャクラの滞り部分を観て、なぜ滞っているのかの情報を「知る」というステップを最初に踏むことになる。

 

これは、私がオーラやチャクラが観るときの自然な習性のようなもので、エネルギーの「流れ」が滞っている部分に自然と眼がいく。

 

さてここで、たとえ私が滞りを「観て」その理由を「知って」も、それを私がクライアントに伝えるまではクライアントは「知らない」。

量子力学的に言えば、私が「知った」時点でクライアントのオーラ上で波動関数の収縮、つまり私が知ったこと(エネルギー滞りとその理由)への可能性に絞り込みが起きても良さそうだが、それはまず起きない。

大きな理由は私のオーラではなくクライアントのオーラであるからだろう。

 

クライアントのオーラである以上、クライアントの自由意思は、私の自由意思や「知る」力より優先されている。

 

しかしセッションの実体験として、私が観た時点で少なくとも私にとっては、可能性は絞られていると感じている。最初に観た「エネルギーの滞り」を所与のものとして、その後のセッションをすすめていけるからだ。

 

これは、私が観ている「クライアントオーラ世界が私のミクロ世界において存在」をしている(私の世界線において波動関数の収縮が生じている)ということではないかと考えている。

 

 

一方クライアントの場合は、クライアントが私の伝えたい内容をあるていど正確に理解した場合にはじめて、クライアントの意識に変化が生じ、オーラも瞬時に変化しはじめる。

このとき、私の世界線とクライアントの世界線が一致をしだすのかもしれないし、認識の完全一致ということはないだろうから、どこまでのミクロの世界では並行世界となっているのかもしれない。

 

 

これらのステップを詳細に書くと以下のようになる。

 

1)マクロの私がクライアントのオーラ/チャクラ状態(ミクロ)を観て知る。

2)観たものを言葉にして声に出して伝える。(マクロ)

3)クライアントは私の言葉を耳で聴く(マクロ)。ただし(脳内を流れる)電流は「重ね合わせ」が証明されているのでミクロと位置付けて良い。

4)クライアントが私の伝えたいことを理解し意識化する(ミクロ)そして何らかの変わろうという決意をする(ミクロ) このとき、私のミクロの世界線とクライアントのミクロの世界線が存在している。

5)クライアントのオーラ/チャクラ状態が変化する(ミクロ)

ミクロとマクロの世界を結ぶのが当人の「意識」であるため、自身のエネルギーの滞りをマクロ(声や耳)を通して理解するとミクロの世界で変化が生じる。

6)いつの日かクライアントの行動や生じる出来事が変わる(マクロ)

 

1)と5)はミクロレベルでは同じ内容のことが、マクロな人間同士でやりとりされる。

マクロな人の関与は、発声と傾聴を除くと、私の知る(観る)行為とクライアントの(知ってそして変わりたい)という意識変化が残る。

 

量子力学ではミクロの世界はあらゆる可能性がまだ「重ね合わせ」にある。

「重ね合わさっている」可能性のうちのひとつである私が伝えた内容、つまり「エネルギーの滞りがあるからそれをなくしていく」可能性がクライアントの傾聴と意識変化により取り出される。

量子力学的に言えば、オーラというミクロの世界で波動関数の収縮が起きる。

そしてミクロの世界でエネルギーの滞りに変化が生じて、エネルギーが流れはじめる。ミクロとマクロをつなげているのは、ひとの意識だ。

意識変化によりその後、マクロの世界でも、クライアントの人生に流れが生まれ変わっていく。ミクロとマクロの相互関係が起きてくる。

 

わたしたちが、自身のミクロの世界のどのような側面をこのマクロな物質界に顕現させていくのか。させたいのか。

 

私の場合では、「自由」という側面をひとに顕現して欲しいとの願いが内在しているから、その部分に自然と眼がいく。

私が何を「知り」あるいは「知りたくて」、クライアントが何を「知り」「知りたい」のか。

 

 

ひとの存在意義は、なにかを「知り」、自らなにかに可能性を絞ってそれを「体験する」ことにあるのだろう。

 

「知る」内容は、ミクロ的天界的であればあるほど良い。

 

なぜならその内容は、わたしたちに多くの自由意思発露の余地が残されているだけでなく、自らをより自由に向けて変えていく契機となるものだから。