オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

スピリチュアル界の現状分析 3

前々回 からのつづきで3日目。



現在スピリチュアル界で広められている3つの考え方について。


A ポジティブシンキングなり「愛」や「感謝」の気持ちですべてを見なさい。
B あなたはそのままで既に完璧なのであなた自身の「あるがまま」でいなさい。
C すべては愛であり、またすべては完璧なので信頼と感謝が大切。



昨日のAとCについてから。


C派の人が言う「愛」は、本来、かように深い拡がりを持つ。
無限と言ってもいい拡がりを持つ。
だからこそチャネリング本に多いメッセージなのだ。


にもかかわらず、私たちは、Cで使われている「愛」を
Aで使われている「愛」の内容にまで、落とし込んでしまう。
その方が私たちにとって分かりやすいから。
都合が良いから。


A派は過去の偉人がCのような意味で使った「愛」という例文を採択して、
自分たちに都合良く使う。


私は、実はA派の考えも条件付きで正しいと思っている。


自らの意識にある、出来るだけ高いレベル(種子)の想念に自らの意志を合わせ、
低いレベルの種子には水を蒔かないようにする。育てないようにする。


その方が明らかに良い。私たちは創造主なのだから。



条件とは、ネガティブな感情を無視したり抑圧したり、なかったことに
しないできちんと観ること。

その上で、意識を高いレベルに合わせておくことは大賛成だ。


だけどね。

「愛」とか「進化」とかの言葉を自分たちに都合良く曲解しては、いけません。
言葉を軽んじてはいけません。

このようなことをわざとしていたら、それは悪魔的行為です。
しかし、そのような本ほど売れる。セミナーほど人気が出る。
こうした悪は注意深く避けて下さい。

彼らは物事の良い面に目を向ける意味での愛と、男女間での愛情(執着)と、
モノや自然などに対しての愛着や慈しみの気持ちと、
過去の聖人が本来の意味で使っている「愛」を、
すべて同じ「愛」という一言で括ってしまう。

そして、それら「愛」を都合の良いように意図的に使い分ける。


A派の人々もC派の人々も、
自分の論理展開の都合に合わせて上記両方の意味で「愛」という言葉を適宜使う。


そこに問題がある。
「ごまかし」がある。


誠実な読者は混乱する一方だ。

なぜなら
1 著者の頭のなかが整理されていないか、
2 読者に分からないだろうと思って意図的にしているのだから。


1の整理されていない人は、むしろ、整理したくないのだろう。
その方が都合がよいから。
結局、1も2もどちらも同じ穴のむじな、なのかもしれない。


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人は創造主だ。
自らの内面が外側の世界に展開していく。

整理されていず、ご都合主義的に自分や世間をごまかしていく人
の人生はどうなっていくのか。

最初はいいかもしれないが、そのうち、ゆっくりと混乱をはじめる。
自分の信じている観念が、現実からの挑戦を受ける。


ますますご都合主義的に走るかもしれない。
そうして、いつまでもいつまでもスピリチュアルな仕事や自己啓発の仕事を
続けている人もいる。


混乱を収束していくことは、いつはじめても遅くはないのに。


心や物事を整理するうえで、大切になるのは、実は

B あなたはそのままで既に完璧なのであなた自身の「あるがまま」でいなさい。

の視点だ。


この考え方を、その言葉の本来の意味で行っていくことが整理につながる。


だが、これもまた多くの人に誤解されているメッセージでもある。

なぜこのメッセージを誤読するのか。

人の持つ欲望をこれほど、「肯定」してくれるメッセージもないからだ。

「そのままで完璧」でありかつ「あるがままでいて」良いのだ。

そうすれば、人として「成長・進化する」と言ってくれている。


「そのままで<何一つ努力をしなくても自分を変えようとしなくても>完璧」
であり
「<自分の欲望や本能のおもむくまま>あるがままでいて」良い
と言ってくれている。


だからだろうか。

成功していくための自己啓発本や豊かになることを目指す本は、
その多くがスピリチュアルな考え、特にこのBなりポジティブ
シンキングのAなりを論理的支柱として採用している。


「お金持ちになりたい」「成功したい」という欲望を肯定してくれるのだ。
一昔前の「進化のための修行」が禁欲的生活とイコールであったのとは
対照的だ。

食欲、性欲、金銭欲を肯定しつつ神に近づいていける。
著者も読者も「ハッピーハッピーライフ!」だ。


ご愁傷さま。



話を元に戻す。

B あなたはそのままで既に完璧なのであなた自身の「あるがまま」でいなさい。

本来これはどのようなことを言っているのか。

2つの文章から成り立っている。


1 あなたはそのままで既に完璧。  という文章と
2 あなた自身の「あるがまま」でいなさい。 という文章。


そして 1→2 という構造。


となると、
人が「あるがまま」でいられないのは、自分のことを完璧と思っていないから。
ということなのか?


3 自分は完璧ではなく、まだまだ不十分なところがある。
だから自分の「あるがまま」の状態をとても肯定出来ない。
よって、努力目標を持って頑張る。


こうやって書いてみると、3の状態は極めて普通でしょう。
普通の常識人は、こうやって日々努力して生きているのではありませんか。
これではいけないことなのですか。


そう。いけないのだ。


まさに、そこに、疑問を提示し私たちの固定観念を刺激している。

Bのメッセージがチャネリング本に多いのは、そうした部分を

スピリチュアルマスターが刺激しようとしているからだ。


明日に続く。