「あなたのためを思って言う」=わたしのためを思って行動しなさい。
「みんなそう思っている」=わたしはこう思うし、なんとしてもそれに従え。
「もうお姉ちゃんなのだから」=より一層わたしの言うことをききなさい。
「いい年なんだから」=世間にしたがって生きろ。私の顔をたてろ。
「優秀な人はその場で決める」=つべこべ言わずに今すぐこの宗教/ネットワークビジネス/自己啓発グループに加入しろ。
「すべては愛なんだから」=つべこべ言わずに我慢しろ。わたしはずっと我慢しているんだから。
実は主観的意見にもかかわらず、客観的に見せかけた言葉というのは多くある。
もちろん後者が、当人が本当に思っていること。
こうした場合、言っている前者の言葉のエネルギーはほとんどまとっていないのだが、前者の言葉は当人のことを気遣っている雰囲気を醸し出す。だから言う方も罪の意識を感じないで済む。
明白に騙しであり脅迫でありコントロール支配なので、後者の意味と脅迫のエネルギーをまとった言葉が当人には突き刺さってくる。
その意味でハラスメントである。
もっと悪いことには、言っている方も、いつしか自分の意図を忘れて本当に相手のことを考えているかのように自分自身を騙していく。
当初はまったく「あなたのことを思って」などいなかったしそのことに自覚的であったのに、いつの間にか、「あなたのためを思っている」と勘違いしてしまう。
言葉がアファメーションのような形で言う当人に働いてしまうからだ。
自分の言葉と意図を一緒にしておくこと。
それには、「自分の意図を知っている」ということが始まりとなる。
すると相手の嘘やごまかしはすぐに見抜けるようになる。
言葉の微妙な違和感が感じられるようになるから。
自分が発している言葉との違いが分かるから。
そうでないひとは、上記のような言葉の使い方をするし、同時にマスコミや政治家、友人の言説に翻弄される。
ロマンチックな言葉や陰謀論にも翻弄される。
つまりは自分が混乱しているから人生が混乱する。
言葉使いの混乱だけなのに、結果、人生や人間関係の混乱をまねく。
自分が使いたい、好きな言葉を内側に通して使うといい。
それはきっとエネルギーが良いはずだから。
好きな言葉さがしと自分の言葉癖を他人から教えてもらうことは、価値ある人生を送る必要条件だと思っています。