「考える」= 外側にエネルギーが向かっていく
「感じる」= 内側にエネルギーが向かっていく
わたしはこの二つの言葉を使うとき、そのようにイメージしてしまいます。
では、内側にエネルギーを向けて「考える」とどうなるでしょう。
不思議と「感じる」に近くなりませんか。あるいは「探求する」という感じに。
つぎに、自分の外側で「感じよう」とするとどうでしょうか。
自らの意識が大きく拡張されていく感じがしませんか。
結局、「内側」も「外側」もまず感じてみて、その後、考える。
それは「考える」というよりもやはり「探求する」に近いものでしょう。
考えるとは「ものと親身に交わること」「ものを外から見るのではなく身に感じて生きること」と言ったのは小林秀雄ですが、そのように考えるのは、なかなかに難しいし、していないものだと思います。
ですが、幸せに生きるためには、することです。
ものごとを身の内に感じて、生きてみて、主観的に探求を深めていく。
そして主観のなかにある広大無辺な、すべての意味を失わせていくような領域に気づいていく。
実はこれが、第三の目のチャクラを開くもっとも理想的な在り方です。
探求と拡張のチャクラですから。
「考える」からスタートすると袋小路に入ります。
まずはなににせよ「身のうちに感じる」から始まるのだと思うのです。
赤ちゃんやちいさな子どもたちは、これを無邪気にしていますよね。
すると「私はいかに生きていくべきか」に至りませんか。
この問いは、わすれがちですが、幸せに生きるにあたってはいつも身の内で「考えつづける」テーマだと思うのです。