多摩動物公園北園飼育展示係の方が以下のように書いています。
【ゾウはエネルギー効率が非常に悪い動物で、食べた物の45%ほどしか消化できないといわれています。野生では他の動物が食べないような栄養価の低い植物を大量に摂取して、あの巨体を維持しています。そして、消化しにくいタネは大方がそのままの状態で排出されます。1日の移動距離は数十キロといわれるため、ゾウは大量のタネを養分や水分とともに広い大地にまいて歩いていることになります。】
アフリカのサバンナでは、森林再生にゾウのこの特徴が大きな役割を果たしていると聴く。「食べて歩いて排泄する」という生存のための基本機能を果たすことだけで、利他的になっていく。
良く、自然界はすべてが全体としてひとつとなり有機的に機能している。どこをとってもひとつの無駄もなく共存し合っていると言われます。
それは生きているときだけでなく、死んでからも排出物にも、大きな視点で観るとつながりが見えてくる。
ゾウはいかにも大きな視点でものを見てそうだし。
ゾウやイルカ、クジラが進化した存在であるから、このような利他的役割を生態的機能も含めて担うようになったのかは、わたしには分からません。
ただ、彼らと出会うと、ただただ感謝の念が湧き起こってくる。
彼らの素晴らしさだけでなく、彼らに生かされているという気持ちかもしれません。
わたしたち人間とて、生存の機能を果たし生きるだけでも自然と利他的になっていけるように出来ているはずだ。
とくに神意とつながりを模索している「大きな自分」をキープ出来ているならば。
過剰が良くないのだと思う。
過剰は連続性を失わせる。
連続鎖を断ち切っている。
「誰かのために」
宗教や信仰やスピリチュアルで、この謳い文句が使われている。
「他者に愛を」
「隣人を愛せよ」
「自分にいたわりを」
どれも正しい。
ただ、無理に「誰かのために」を思い実践していくことは、自分自身の「ありのまま」ではないのでいずれ限界がくるだろう。
多くの宗教でこのことが推奨されているのは、以下の理由が大きいと思う。
1)支配層にとってこの方がコントロールしやすいから。
2)無理にでも「誰かのために」と思うことで太陽神経叢やハートチャクラとのつながりが得られるから。
2)がなぜなら、太陽神経叢チャクラは、自分と他との健全な関係性を維持出来るとき、開いていくから。
ハートチャクラは無私になっていくとき、開いていくから。
しかし、太陽神経叢が開くためには、自己と他とのバランスがとれていることが大切となる。
自己と他のどちらかに過剰になってしまい、バランスが崩れると自然の生み出した太陽神経叢が開かないばかりか、自然の持つ連続性を断ち切ってしまう。
環境問題は、自己/自組織/自国優先でバランスを失い、起きた問題であることは明らかだ。自然の持つ連続性を人間が断ち切っている。
だがやっかいなのは、ひとりひとりの人間は生命体だが、組織や国は生命体ではなく人工物であることだ。
人工物は生命鎖の連続性のうえにない。だから自省的機能や生命の持つ自然な力が働かない。
正直にいうと、環境問題についてはAIでしか解決不能なのでは、と思っている。
組織や国のエゴを捨て、AIの出す回答にしたがうことが出来るかどうか。
311の原発問題もそうであったが、コロナ禍においても、組織や国を超えた協力体制はいまだにとられていない。
たとえば、製薬会社はすべての情報をオープンにして、協力し合うものとばかり思っていた。その主導を大国がとるものと。
この現実が突きつけているモノは重い。
たとえ宇宙人が攻めてきても、人類は協力し合わないのだろうか。
これまでの様々なSFや映画の土台が崩れてしまうではないか。
組織/国によって、わたしたちの生命の土台が崩れつつある。