他人をコントロールするのに長けた人々は、巧妙にあなたの罪悪感を刺激して自分の思うとおりに人を動かします。
政治家が良く使う手としては、まず誰かを悪者に仕立てあげる。その悪者が感じて当然の罪悪感を、マスコミを通して煽ります。
大衆は自分が常日頃に感じている罪悪感を、その悪者とされている人だって当然感じるべきなのに痛感しておとなしくしないのは悪者だと攻撃するようになります。
するとなぜか、政治家本人が悪いにも関わらず、批判の矛先は悪者に仕立て上げられた人に向かってしまう。
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罪悪感のイメージ、は以下のような感じで「自分で自分を責める」ものです。
脳内では、他人から責められたことも自分から責められたことも同じように感じてしまうのではと思っています。
「鏡の法則」に照らして考えてもそうなります。
一日に何度となく自分で自分を責めることと思います。
私はダメだ。
こんなことをしていてはいけない。
また失敗した。
また評価されなかった。
手を抜いてしまった。
だんだん自分を嫌いになっていくことと思います。
これがあまり行き過ぎると「鬱」になる。
さきほどの「鏡の法則」に従うと、自分を嫌いだと他人からも嫌われるという現象が起きてきます。
自分でも自分を嫌い、他人からも嫌われる。
いいことなしです。
自分の思うとおりに一日を過ごせるひとは、いったいどれほどいるのでしょう。
ほとんどのひとは、自分の目指すことの半分程度しか、こなせないのではないではないでしょうか。
少なくともわたしはその程度です。
多くの罪悪感を感じてもらう方が支配しやすいので、教育制度も組織制度も、あなたが罪悪感を感じる方向にと設計されています。
この巧妙な罠に陥ってはいけません。
罪悪感を感じるか感じないかは、一人芝居ですので、あなたの影響下にあり制御出来ることです。
こころのなかで、上記のような「わたしは××だ」という自己を否定する言葉を唱えるたびに、「そうではない」、「私の○○のごく一部分だけが改善対象である」と言葉を組み替えていきましょう。
「わたしは××だ」ですと、わたし全体を自己否定しながらその否定している文言はなぜか正しいと受け容れるという矛盾が生じ、エネルギー的に行き場を失って、あなたのオーラフィールドで悶々としつづけるからです。
「私の○○のごく一部分だけが改善対象である」と言い換えることはとても大切なことなのです。
わたし全体の否定は、知らず知らずのうちに「ハート」「魂」の否定をも内包しています。本人にそのつもりがなくとも、です。
自己に否定語を使うたびに、脳は混乱します。そして言霊の力もあります。
他人や組織にコントロールされないためにも、気をつけていきましょう。