思考は、答えを求めている。
現状維持と固定化を求めている。
そして、なにかしらの目的を達成しようとしている。
思考は、安住できる答えを求め、そこにいることで、あなたを安心出来る
状態にしたいと考えている。
出来るだけ早くに。
このとき、思考は感情の奴隷になっている。
安心したいのは感情だからだ。
感情は一刻も早い、プロセスの終了を求めている。
感情様が不安定に耐えられないから。
でもそれを不安定と定義しているのは、思考様。
その意味では、感情は思考の奴隷になっている。
このようにして、感情と思考は、お互いを束縛しあっている。
これらはオーラの2層で起きている。
ほとんどのブロックはこの2層にある。
知性は、虚偽を暴こうとしている。
そして、真実に至ろうとしている。
それは探究であり、問いかけであり、終わりのないプロセスでもある。
このプロセスを担っているのが、オーラの3層だ。
ここは、知性(3層)が決定的に思考(2層)とは異なる点だ。
「ありのまま」は、真実だ。
私たちが、一番手に入れやすい真実だと思う。
もし「ありのまま」に虚偽が含まれるならば、それこそ「ありのまま」ではない。
それは、幻想であり想像だろう。
さて、一般的な「答え」は「ありのまま」だろうか。
否。
生命は、一時たりとも静止していない。
だから「答え」によって、生命の流れを静止化させることは不可能だ。
静止化させたとしたら、それはもはや「ありのまま」ではない。
とはいえ、「ありのまま」を把握する上で、どこかで妥協は必要となる。
大切なのは、その妥協案は、暫定的な答えであり普遍的なものでは
ないと知っておくことだ。
それが、生命を相手に探究するときの姿勢だと思う。