癒す、のではない。
癒される、のでもない。
カウンセラーとクライアント。
医師と患者。
治療家やセラピストと患者。
教師と生徒。
この対称性が崩壊したとき、癒しが起きる。
どのように崩壊していくか。
一つには、探究マインドによって。
それは以前触れたのでここでは触れない。
いま一つは、補助線によって。
痛み、課題、問題、あるいは辛さ、でもなんといっても構わないが、
当人には、それらの解放(回答)に向けての補助線が見えていない。
だから、同じ景色ばかりを幾度となく眺める。
そして、絶望しそうになる。
あきらめそうになる。
そのようなとき、セラピストは、補助線を引いてみせる。
この補助線の引き方が、スキル。
回答までは、導かない。
癒される人は、その引かれた補助線を見て、同じ景色であっても、
それまでとは異なる、全く新しい見方が出来るようになる。
視野が拡がる。
視野の拡げ方が分かる。
あとは自らが癒していく。
なぜ、答えまでは導かないのか。
相手への信頼の余地を残しておくため。
あなたが、相手を信頼出来るから、
相手も、自分自身を信頼出来る。
だから、
あなたが相手を信頼出来ないなら、回答を与えれば良い。
信頼出来るなら、その余地を残す。
相手が、たった一人でいても、
「自分自身のことを信頼出来る余地」を残す。
癒す、のではない。
癒される、のでもない。
主語のない、境界のない
「癒し」だけが、ある。