オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

癒しとコントロール

ここ4日間のブログの内容をもととして、

そもそも「癒し」の行為は、現実界へのコントロールとならないのか。
そう思っている方も、いるかもしれません。


例えば、企業はコントロールに満ちています。
いいのです。
上から下まで、コントロールしようと思っていますから。
そもそも相手を自由にしようなどとは思っていないので、隠された意図による混乱はない。
そのコントロール力と報酬が見合っている限り、
それは契約事であり、特に問題はないでしょう。


企業組織は、
要求=コントロール力=報酬

と言う形で、綺麗に整理できます。
企業の最近の問題は、「要求が高まっている一方で報酬が見合ってこない」ということですが、
それは、今回のテーマとは、また別問題。


組織は、どのような組織でも、ある一定の制限下での自由を模索するところです。
組織化されているものは、その組織維持のために、必ず制限と階層化を必要とします。
覚えておくと良いですよ。


ただ、一人ひとりの個人レベルでは、全く別の話となります。


個人レベルでは、
一言で言うなら、宇宙の意図と同じ意図であるならば、コントロールとはならない。

だけど難しいですね。
何が、宇宙の意図と同じなのかは、なかなか分からないもの。


方向性としては、
自由、拡張、つまり
1 制限を解き放つ方向に向かうものは、

そして
2 他者の自由意思を尊重する

のであれば、それはコントロールとはなりません。



しかし、スピリチュアルな新たな概念や、特に手法の提供によって、
1の制限を、取り払うことをしがちになります。
このやり方、この儀式、この手法が優れている、
だから、制限がなくなって人を進化に導く、ということで。

これは、コントロールに傾きがちとなります。
一時、解き放たれても、
その新しい概念なり、手法なりが、期待を呼び、
新たな制限として、働いてしまうからです。


だから「癒し」自体が、コントロールとなるのか、否かということではなく、
あなたの癒しに対しての意図が、どのようなものであるのか、
によってコントロールか、否かが、決まります。

進化や成熟の強制は、コントロールとなり、
あなたが、ハートフルでいること、
あなたにとっての真実を、自分のこととして、他者に話すことは、コントロールとはなりません。


ありのままの意図と、隠された意図
あなたの自由意思と、他者の自由意思
あなたが、自分にしているコントロールと自由、他者にしているコントロールと自由
要求と金銭授受
期待と信頼

こうしたことの違いについて、ときどき想いを馳せてみると面白いですよ。