私は、大学一年の時に、父を亡くしている。
父が死ぬ二週間ほど前、東京国立がんセンターの主治医から呼び出された。今月が、山です、と。
そしてそのとき見せられたのが、父の癌が脳に転移したレントゲン写真だった。
脳に転移した癌は、私の握りこぶしほどの大きさがあっただろうか。
これだけの大きさの癌が、頭のなかにあったら、通常は、痛くてどうしようもなくなり、暴れる以外は、何も出来ないはずです。
主治医が、目に涙をためながら、そう言ってくれた。
そのとき、父がしていたことは、職場への復帰を目指して、ひらがなの練習を、毎日一万字することだった。
父は、脳に癌が転移し始めてから、満足に文字が書けなくなっていた。
主治医の涙は、その姿を毎日見ていたからだろう。
その後、しばらくして父は、危篤状態になり意識を失った。
正直に話そう。
私が病院で父を失っていく、まさにその瞬間、感じていたことは「愛」だ。
いや、絶対的で、比較不能な喪失感と悲しみも同時にある。
でも、私の深い部分で、その底流を流れていたものは「愛」だ。
その後、愛犬を失っていくときにも同時に感じていた。
私たちを自由に導いてくれる、自立へと導いてくれる、
そして、その場にいる傷ついた者の痛みを背負っていこうとし、軽やかに導くような愛。
まさに「愛」という言葉以外、適切な言葉が見つからない。
そのような「愛」。
父の死に際して、その「愛」を出来うる限り、感じようとしていた。
誤解を怖れずに言えば、悲しさと同時に、吹っ切れた軽やかさが、私のなかにあった。
今回の震災は、あまりにも多くの悲しみが拡がり、しかも、それは現在進行形でもある。
一人を失うことの痛みが、既に、おそらく3万件人分にのぼろうとしている。
今後の推移では、どのようになるか、その見通しすら全く見えていない。
だから、通常の死と今回の死を比較したくて、この文章を書いているわけでは、もちろんない。
ただ、死に旅だって行ったものの多くは、残されたものに、自らが放つ「愛」を感じていて欲しい。
そう思っていると私は感じている。
「死」とは、いつだってそうした部分が、あるのだと感じている。
もちろん、残されたものの悲しみと絶望感は、私などには、計り知れないものだろう。
残されたものの「悲しみ」と「恐怖」と「人のつながりの希望」。
そして、死に旅だったものの「愛」が、今、地球をともに包んでいるように感じている。
父の放つ「愛」を感じていたとき、それは臨終の三時間ほど前だったのだが、父が、ふと意識を戻した。
そのとき偶然、私だけが枕元にいた。
「良かったな」
その一言だけだった。
父からの最後の言葉となった。
今でも、その意味は分からないが、その言葉の持つ響きを大切に感じながら、この仕事をしている。
絵はArt Swing のMAMIさんの描いた "Great Moment"