オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

ツイッターからの抜粋2

5月にツイートした一部を加筆修正しています。


ETV特集「ネットワークで作る放射能汚染地図」を見た。
話者がインタビューに応えながら、自分でも気付いていなかった自らの本心に触れ、
自身がその内容に愕然とし、刻々と表情が変わっていくところに、
テレビの醍醐味はある。


汚染データ測定値に信じられない表情の瞬間をとらえる映像。
編集の力で視聴者は事の重大性を認識出来る。


■見るものすべてが痛んで老化していく。
ただ、その様(さま)が見えない。
でも事実、そうなっている。汚染データがそれを物語る。
つまり、あらゆるものの死へ向かう時間が急加速している。


しかしどの道、意識以外のあらゆるものは死を迎える。


ある意味、原発前に比べてより「今」の価値が上がっている。




■今朝、珍しく早起きしたので、1時間ほどかけてゆっくり散歩。
人生は何かを成し遂げるためにあるのではなくて、


ただ、ただ、ハートを開いていこうとするために、あると、


そのとき、感じた。。いや、分かった。ハートが、分かった。




■国民の目に未だ充分にされされていない事象として、
この原発の次にくるものは、投入されている税金
(国民からの徴収されるお金である健康保険含む)の額から云って、
医療に関わる分野だろう。


次に、税金投入はないが税金支払を免れている宗教の分野。
今という時代は、隠されていたものの蓋が開いてしまっている状態。
化けの皮がはがれて行っていると言えば分かりやすいか。


原発、医療、宗教。この3つの一層の健全化を求める力が働くことだろう。




■最近、TVのニュース番組を見る視点が完全に変わった。
情報を得るために見るのではなく、どのように報道するのか、
それを見るためだけに時々TVニュースを見ている。



■既に神奈川の茶葉が出荷できない汚染レベルなのだから、
あと1年この状態が続くとすると、日本はいか程の放射能汚染量になるのだろう。


■ある意味、運を天に任せている状況が3ヶ月続いている。
その意味では、すでに「賽(サイ)は投げられている」 
だからこそ、我々の一つ一つの決断の力が大切なのだ。


■自分を客観視するとき、そこに自分はない。
そうやってどんどん見つめてみる。自分がなくなっていくくらいに。

自分をモノのようにあつかってみる。


すると自分という存在の多次元性の扉が開かれる。




■学生、社会人と通して経済や経営の勉強をしてきた。
そして、それは人の持つ欲とコントロールへの理解を深めることの
勉強なのだと感じてきた。


こうした部分を跳躍していく方法はないものかとずっと考えてきた。


正直に言えば、今のところ、ほとんどない。


哲学との接点は未だ見いだせない。処世術でしかないのだ。


しかし、処世術だからといって別に悪いことではない。
出しゃばらなければいいのだ。
これが一番大切だという、フリをしなければよいのだ。


いかに生きるべきか、という哲学の下位に位置づけられていれば良い。

いま、経済や経営などの単なる処世術が我こそすべてという顔で、
いばっているからいけないのだと思う。




■今、ハートを感じていく力と、数字で緻密に論理を積み上げていく力と、
ともに必要だなと感じる。


数字って、エゴによって易々と、ごまかされないところがいい。


溢れる言葉だけだと、どうしてもごまかされてしまう。


緻密な数字の結果をもとに、今、ここ、の行動指針を決めていくのがハート。





■真実は決して破壊されることはありません。


誰もが内に持っているもの、知っているものだからです。
だから真実は、教えられるものではなく、
自らで思い出していくものです。


見出していくものです。

人生はそのためのきっかけを与えてくれます。



■他者の自由意思を尊重することが苦手な国民なのだと思う。
和の精神を誤読している。


和の精神とは争わない精神のことであり、
他者の自由意思の行使が、自分に物理的な害悪がない限りにおいては、
他者を尊重し、最終的には自分をも客観視し、
道理を重んじるという精神の在り方のこと。


「空気を読む」こととはある意味、対極にある。





■危機意識が人によって乖離があることの何が問題なのか。
それは、危機意識の高い人の発言と行動を、
その他のものたちが蔑視あるいは嘲笑ときには逃避と位置づけ、
その自由を奪おうとするからだ。



■何かを捨ててそれで終わり。ではない。
捨てたからこそ得られるものがある。


「捨てる+今は想像つかない新しい何かを得る」 


それが「変わる」ということ。

何かを捨ててそれで終わりと思っているからいつまでも変われない。

生命は古い細胞を捨てて新しい細胞が生まれるという新陳代謝が出来ている。




■日本では、昔から山裾に都会が拡がっている。
都会から見れば、山はいつもすぐそこにある。


この独特な自然との距離感が、
日本人の自然観・人生観を形作ってきたと思う。


東京にはそれがない。視界が山々にぶつかることがない。




■経営コンサルティングの仕事をしていていつも思うのですが、
コンサルタントはその企業や業界や業務の専門家ではなくむしろ素人です。


だから先入観がなく固定観念もないため、
物事の本質にたどり着きやすいと言えます。


外部の素人の冷徹な目は、どんな仕事でも不可欠だと思っています。




■なにひとつ制限がないとしたら、
今、この世界で創造したいものは何だろう。


なにひとつ不安がないとしたら、
今、この世界に顕(あらわ)していきたいものは何だろう。




■ヨーロッパ中世の教会が、
メチャクチャな状態であったにも拘わらず滅亡しなかったのは、
改革の声が教会の内からも外からも上がったからだ。

内からだけではつぶされる。
外からだけでは殻に閉じこもる。

両方が必要なのだ。




■素人の素直な疑問や感覚に答えていくのが専門家の本来の役割。
専門領域の細分化がされすぎていて、科学者が常識を失ってきている。

専門家が自らのしていることに常識的な疑いをもたなくなったら、文明は崩壊する。





■「放射能は目に見えない+ただちに影響が分からない」ので
「鈍感」「思い込み」を維持する条件が揃っている。

まるでスピリチュアルのようだ。



写真はハワイ島でのイルカたち