普遍的なものを、求めては、いけない。
主観的な感覚、感情、信念、知性を、突き詰めていくとき、第三の目のチャクラ、すなはち、心眼とでもいうべき力が活性化し、いつしか、主観も客観もなくなっていく。
己のなかに普遍的なものが立ち顕れてくる。
いや、己自身の普遍性に気付くとでも言えばいいのか。
セミナーで行うシェアリングが、他者に多くの気付きをもたらすのも、極めて主観的な感想のなかに、聴く人は、己のなかの普遍性を見いだしているからだ。
教育も同じだろう。
教師も生徒も、ともに自らの主観的感覚を突き詰めていくときに、はじめて生徒は心眼が鍛えられ、考える力、問う力が養われていく。
まさに、探求はなされていく。
もっとも良くないのは、正解というものは、常に自分以外のところにあると信じてしまう心だ。
普遍性、普遍なるもの。
この言葉を聴いたとき、自分の内部にそれがあるとは思わないだろう。
主観を排除していくことで様々な学問体系は成立し、科学・仕事の効率化・高度化も達成されてきたからだ。
主観を軽んじる習性が身に付いている。
普遍性は主観性に立脚している、と思えない。
何度でも言います。
他者の考えなどは、どうでもいいのです。
あなたの主観を徹底的に突き詰めさえすれば、それは魂に通じていきます。
そして第三の目のチャクラも拓いていきます。
外部の世界への洞察も、より深まっていきます。
なにより、内なる信頼から、あなたが自由になっていきます。
インドネシアにあるボロブドゥール寺院