オーラが伝えるすべて

沢渡和がオーラやチャクラ、チャネリング等 スピリチュアルなこと全般についてお伝えしていきます。

これ以上はもう無理

これ以上はもう無理

何がもう「無理」なのか。

ニーズや欲望を満たしていくこと。

しかし、そうなると、ニーズや欲望を満たすことで成立してきた、ビジネスが、もう「無理」になってしまいます。

まずは、その話から。

ビジネスとは、付加価値の創造です。
利潤の源泉も、ながらく「付加価値」にあると考えられてきました。(今は利潤の源泉は企業間か企業内での「搾取」にあると考えている人が多いように思います)

「付加価値」という言葉を聞くと、知恵などの価値を思いがちですが、利潤の場合の多くの「付加価値」は労働です。「労働品質」です。
設計図(マニュアル)の通りに行う労働の品質(達成度)です。
間違えの多い、適当な労働では、設計図通りのものが行われず、それでは「設計図通りのもの=対価の支払い」だったはずの約束が履行されないので、対価が得られません。
この労働品質に秀でているのは、過去も今も日本です。かつての先進国もそうでした。

労働のなかには、おおざっぱな設計図しか書くことの出来ない、マニュアルに出来ない労働も数多くあります。
匠、職人的な仕事もそうですし、多くのプロフェッショナルなサービス業や対人職業などの臨機応変さを必要とする職種、つまり仕事の最初のインプット要求を明確に定義出来ない仕事は、仕事の設計図を書くことは難しくなります。

マニュアルにしうる仕事は、既にその多くは海外に流れていきました。
逆にマニュアル化しにくい仕事は、今後まだまだ日本の独壇場だとは思います。
ただ日本語しか出来ないと痛いでしょう。何をするにしても。
今や地球上の25億人が英語を話します。
いつの間にか日本でスピリチュアルなことにうつつを抜かしている内に、私も置いてけぼりをくっていました。
どこかで真剣に勉強しようとは思っています。
英語を話す人口が世界でここ20年あまり急速に増加しているのですが、その話は置いておきます。


さて、なぜマニュアル化しにくい仕事は日本の独壇場なのでしょう。

相手の望むものを察する力が図抜けて秀でているのだと思います。
八百万の神々の国ですし、加えて世間様を神として育ってきているかでしょうか。
その一方、神様が望むものを察するということは、多くの日本人は日頃していないと思います。
が、目の前にいる人が望むものを察することは、ほとんどの人が日常的にしているのではないでしょうか。
だからマインドコントロールされやすいとも言えるのですが、その話も置いて次に行きます。

瞬間、瞬間の目の前にいる人のニーズを把握すること。
これは私たちには、大丈夫でしょう。

もう少し中長期的な相手のニーズを把握すること。
これが、分からないのだと思います。

誰にも。
自分にも。

もはや、私たちは、中長期的(半年〜5年後)に何を望んでいるのかが分からない。
たとえあったとしても、それは「自分発」で望んでいるものなのか、企業のマーケティングに刺激されて無理して望んでいるものなのか、それも分からない。

先進国のビジネス社会は、もう長くはないな、と私が思う理由のひとつです。
途上国のビジネスで食べていくならば、途上国の給与にならなくてはなりません。
途上国にはビジネス上必須の、パソコンも携帯も電気もあります。

先進国の優位性は人材にしかない。(今はまだ過去の経験という資産から人材優位はあります)
その人材に秀でたものがないならば、先進国のビジネス社会はもう長くはない。
欧米の先進国は、実体経済以外の仮想経済(金融経済)で食べていることが、リーマン・ショック以降、明らかになりました。
そして以降、仮想経済は強い規制がかかりました。でもまだいくらでも実体経済を振り回します。

その名残(借金)があるからです。
となると先進国の実体経済の行き詰まりは、リーマンの名残の借金露呈につながり、先進国のビジネス社会に終止符を打つことになります。


さて、ここで、冒頭に話は戻ります。

ニーズや欲望を満たしていくことが、なぜもう無理なのか。

① 自然と地球がそう言ってきているとしか思えないこと。自然災害、放射能汚染。

② たとえ、自然や地球がまだまだ持ったとしても、これ以上、逃避に走って鈍感になっていくと、もう人生の意味がなくなる。そういうところまで来てしまっている。何のための豊かさなのか分からなくなっていること。自分の魂やハートからの乖離が著しくなって、何をしても充たされなくなっていること。

③ 富の源泉を庶民から吸い上げるための、貨幣の通路が世界的に強固に出来上がってしまっていて、このままニーズや欲望を満たすことは、どのみち一般庶民には還元されないし、庶民には、そもそもの購買活動が難しくなりつつあること。加えて労働が幸せではなくなってきていること。

④ 自分は何が欲しいのかがついに分からなくなってきた。もっと言えば、何が自分を幸せにしてくれるのかが分からなくなってきた。


だから、タイトルにあるとおり、いろいろなことが、「これ以上はもう無理」なのだと思います。

いろんなことが、です。




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