自分の思考や感情の動きを見つめる際、必ずノートに記載しながら行うことを薦めている。
その動きを論理的に整理することが大切だからだ。
不安や怒り、憎しみなどの感情は特にそうだが、ある過去の感情のもととなった現象から次なる現象にと飛躍しながら、感情は自己増殖を続けていく。
これらは「今」を離れ幻想の世界に入っていくがゆえに、その自己増殖に際限がない。
そしてその現象にまつわる新たな感情を発見すると、妙な達成感があったりもする。
自分で作り上げた幻想世界から離れられなくなってくる。
感情を、思考や知性の力で整理してあげることは、混乱した人生を送らないために、不可欠なことだ。
だから自分の感情に振り回されないためにも、また自分自身の内奥を深めていくために、必ずノートに記載しながら、出来るだけ論理的に自分を見ることを薦めている。
特に若い頃勉強をした人ほど、つまり論理に依存している人ほど、普通の人以上にしっかり見なければならない。
エゴは巧妙に本質課題を避けるので、自分が長年使ってきた論理思考パターンを、一度、シンプルな論理によって壊す必要があるから。
ここをおろそかにする人は「変われない」。
それは感情や幻想の世界にとらわれていて、ハートや知性の最大の特質でもある「勇気」が出ないからだ。
どんなに呆れ返るような自分であっても、それを「ありのままに見る」ことなしには、「変われない」。
本当の自分の課題を、それと分かりながら目を逸らし続けていても「変われない」。
なぜなら、そのような人は、自分自身に呆れかえりたくないと思っているのだから。
分かりやすい感情や思考のみを「自分のすべて」とどこかで思っているから。
呆れかえってしまった後、それを変革しながら支えていく、より大きな自分や魂、ハートの力があるとは思っていないから。
そう。
逆説的だが「自分が変わる」には最初は徹底した論理が、最後には、論理そのものからのジャンプが必要となる。
そのための時間は、ある。
(そのために生まれてきているのだし)
自然も光も芸術もサポートしてくれている。
鉱物界も動物界もサポートしてくれるだろう。
ないものは、なんだろう。
大木実の詩(= 前へ =)
少年の日読んだ「家なき子」の物語の結びは、こういう言葉で終っている。
- 前へ。
僕はこの言葉が好きだ。
物語は終っても、僕らの人生は終らない。
僕らの人生の不幸は終りがない。
希望を失わず、つねに前へ進んでいく、物語のなかの少年ルミよ。
僕はあの健気なルミが好きだ。
辛いこと、厭なこと、哀しいことに、出会うたび、
僕は弱い自分を励ます。
- 前へ。
詩集『冬の支度』より
Art Swing MAMIさんの絵