「疑うこと」はなぜ大切なのでしょうか。
疑うことによって、真実は否定されたり
なくなることはありませんが
幻想は否定することが出来ます。
それが「幻想だ」と分かります。
だから幻想の持つ力が弱まります。
一方、「肯定する」と、真実はこの場合も影響はありませんが
幻想や自己の持つ不自然さは、
その力をますます強めてしまいます。
疑えないもの
疑うという土俵にそぐわないもの、論理がそぐわないもの
疑いようのないもの、感覚的なもの
これらを、自らの血肉としていくために
私たちは「疑う」のではないでしょうか。
「疑う」ことを経て確信が得られ、はじめて自己への血肉化が
可能となるのではないでしょうか。
余計な邪魔がなくなることを通して。
「目」が開かれていくことを通して。
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