昨日、伊勢神宮ツアーが無事、成功裡に終わりました。おかげさまです。
ツアー中、神宮のなかにただ「いる」ことが、またツアー前に神宮のことを探求していくことが、私にとって、大きな歓びであり、力となっていました。
これは、形而上的なスピリチュアルなことを探求しているときにいつも感じられる、自らの内側からくる愉しさ、うれしさ、歓びと快楽です。
「哲学的なこと」や「正しいことをする」とき,内側から沸き立つ善の力、それは良心の力といっても良いし、真理自体の持つ力といってもよいものだと思いますが、そうしたものを感じる人は、かなり多いのではないでしょうか。
労働や個人的目標を達成しようとするときには感じることの出来ない力であり、明かな違いがあります。
伊勢の神宮のなかにいるだけで、その力が感じられます。
何か私たちの霊性、精神性、善性が刺激されているのでしょう。
「お伊勢参り、お陰参り」が全盛期には当時の全人口の1割を容易に超える程になっていたのも、この神宮の持つ、信仰や善性の根源的本質的なものを刺激してくれる何かを当時の人々が感じていたからなのでしょう。
私たちを「正しさ」に導くもの、それは「ハート」に導く力と同義でしょうが、そうした仕組みが神宮に内包されています。
本質的なものと触れあったとき、最初は私たち自身を見つめることに導かれ、その後、「私」がなくなっていきながら、ただ本質や事象、それらとのふれあいの感覚が生命感を伴って感じられるようになっていきます。
神宮の徹底した浄化の仕組みが、現象・事象とその探求にとって不要なものをすべて削ぎ落としてくれているのです。
何か問題が起きたときに、私たちが「原因」や「人」に着目し、そこから解決する道筋を立ててしまいがちなことを矯正するかのように、私たちに、現象・存在のみとただ向かい合うように促していきます。
それは、まさに神宮が持つ、三種の神器のひとつ、「鏡」としての働きです。
Art Swing MAMIさんの絵 『 やどる 』
や ど る
パステル+アクリル/ 30 x 39 cm
あなたの傍らにも
宿りたる青の色を
身にまとう鳥。
二重奏で天高く
光をつなぎます♪