今日が人生最後の日だったら。。。
という言い方がある。
では、これから3年が人生最後の年月だったら。
「人類最後の日」ではあきらかに言い過ぎとなるが、誰もひとが存在しない地球の美しさに想いをはせてみるとその素晴らしさに、自らの襟を正そうと思うのは私だけだろうか。
3年がゆっくりことに当たれる最後の年月だとするなら、やはり自らのなかに「他の存在への慈しみのこころ持ち」や「感謝ーここに在ることのありがたさのようなもの」をはぐくみたいし、そのようなものを分かちあえる対象物を創造していきたい。
誰でもそうではないのか。
このような行為には「幸せ感」ももれなくついていそうだし。
「慈しみ」や「感謝」のはぐくみと対照的なものは、「葛藤」や「闘い」「分裂」といったところだろうか。
なんなら「達成」「成功」「勝利」「責任」なども入れてもいいかもしれない。
「勤勉さ」や「ひたむきに励む」ことが大切だと思う。
こうした姿勢は瞑想的にもなるし、生命の自然な在り方でもある。
なにをしたいか? というだけでなく、
どのような時を過ごしたいか? が大切なのだろう。
たとえたった一人だったとしても、周りをすべて地球や人からの生命で囲まれているわたしたちは、「他の存在への慈しみのこころ持ち」や「感謝ーここに在ることのありがたさのようなもの」は、いつでもどこでも感じることが出来る。
素晴らしい。