ひとは「好き」なことに没頭しているとき、「怖れ」や「過去の痛み」から自由になっています。ときに「幸せ」を感じているかもしれません。
このとき創造的であり、多くの存在への感謝をも感じています。
ひとの健全な創造性の発揮を阻害するものは、「怖れ」「不安」です。
逆に言えば「怖れ」から自由になれる「場」や「時間空間」や「対象」は、「好き」なものと言えます。
こうした「場」を、魂は誰にでも用意しようとするものです。
その人がその人らしく「ありのまま」でいられる「場」が、成長をもっとも促すからです。
わたしは、カウンセリングの仕事をしながら、思うことがあります。
「素晴らしいカウンセラー」とはどのような人のことを言うのだろうか。
「気づき」や「愛情」や「大丈夫」という感覚を、無理強いすることなく自然に与えられる人か。
安全な感覚のなかで、傾聴に専念できることが素晴らしいことなのか。
わたしはカウンセリングでもセミナーでも、「精神の自由」を得ていただくことに専念しています。
それは世間でいうところの素晴らしいカウンセラーという定義からは、外れるかもしれません。
自分はいつでも自由に物事を考えていると、誰もが思っているからです。
いま話題になっている「マインドコントロール」にかかっている人とて、自分は自由に物事を考えていると思っていることでしょう。
つまり、自分が課している制限には気づきにくいと言えます。
それゆえ、自分が自由に物事を考えているのか、自由な状態から「好き」なことを「好き」と思ってきたのかについては、自身の精神の動きについて直感含めたいろいろな視点から観ないと、見えて来ません。
ビジネス上から、「好き」な状態に強引に導かれているのかもしれません。
登るべきでない、また別段登りたくなかった山の頂に、急いで立つことになります。
自分には「好き」がないと思っている人も同様です。
つまりは、精神のエネルギーが自由に流れないことには、なにも始まりません。
だから、魂は最初に「精神が自由になれる場」を用意しようとします。
幼いこども達は、思いもよらないことに熱中し没頭しています。
あるとき「好き」を発見したとしても、その後の自分が否定してしまうかもしれません。
また、「好き」は感じ育んでいくと、変化していくかもしれません。
思ったものとは、まったく違ったものになっていくかもしれません。
ただ、その過程で、ひとは精神の自由を得、幸せを感じられるようになっていきます。
わたしは、わたしにとっての新しいことを、チャネリングや他者との対話のなかでともに探求していき、当人たちの思いもよらない高みの場に至ることが好きです。
今月末に新しいセミナーを開催することとしました。